自然栽培

こちらに記載している内容はサイト立ち上げ時のもので、自然栽培においての基本的な考え方は
変わっておりませんが、具体的な手法は変化してきています。海水や草堆肥の利用はしておりません。
草木灰も積極的な利用はありません。人参栽培では敷き草もしておりません。
ないない尽くしでどれだけ元気に育てるかに移行しています。
現在の人参栽培は私はここで、ツヨシ君に見守られて育ったよ!「自然栽培による人参栽培の様子」をご覧下さい。
2014年4月更新
発酵と腐敗 ミネラルの循環

自然を考える時にまず思うことは、自然とは、なんと回りくどいのかを引き継ぐ為に、雄と雌という構造を作り。雄と雌の結びつきにおいても、さまざに相性や環境やタイミングやらの障壁を設け、そうやすやすとは命を引き継げない様になっている。簡単に結びつき子孫を残す様に思われる自分たちにしても、生まれてくる一つのは何億分の一の確立で選別されただそうだ。植物においても、雌しべに花粉が受粉する為には昆虫や風の介在を必要としたりで、花粉の数はとんでもない数と思われる。自然は回りくどく、そしてその回りくどさのなかで新しいをふるいにかけ、またその回りくどさの中に他のを必要として、ただ一つのでは存在できない、一つ一つは網目の様に単純であっても、全てがつながり合い結びついてネットワークしていると思う。
 一本の草が命を終えて土に返り、また新たな草が成長してくるまでにも、どれだけ多くのが、組み込まれ介在しているものか。日々それらを確認していきたいと思っています。風や光や水など環境として、一括りにしてしまうものも、それは定数ではなく常に他とネットワークした変数だと思し、それらもそのものではないだろうか。

 オヤジは畑とかかわって行く中で、常に心においておきたい事がある。
それは、自然はどうなっているのか?何が自然なのか?どこが自然と異なるのか?
そして、忘れてはならない人間も自然の一部であり、その自然の一部である人間が、多くのを生かす網の目の中の、どんな役割を果たして行けば良いのか。・・・・・・畑とかかわりながら考えて行きたい。

間違いの多い様に様に思われる人間の行動も
悠久の時の流れの中に
折込済みなら、いいのだけれど



畑に無くて自然にあるものは何だろう?
雑草
自然
畑は生産効率を考えて、作物以外の雑草は生やさない努力をしています。確かに草に埋もれては作物はまんそくに育たないばかりか、収穫するにも邪魔になります。草取りが不充分で、草の種が落ちれば益々草は生えてきます。草取りは実に厄介できりが無く、慣行栽培では当然のように除草剤を使用します。 多くの種類の雑草が、競争や住み分けしながら共存している。草を分け入れば、多くの虫達が生活しているのを見つけることが出きる。多種多様な草の中で多種多様な命が生きずいている。
普通の畑
1月撮影
蕎麦を収穫した後の畑で
この状態で冬を越します
草むら
1月撮影
この時期ちょと見には何もいないように見えるが
草の根方をほじれば小さな虫が沢山見つかる
 畑では作物だけが栽培され、収穫後に残され土に返されるものは種類も量も少ない。自然であれば、多くの種類の草が収穫の時期とゆうものも無く、人のからだの新陳代謝のように、常に生まれては土に返っていく。また、畑の中で作物が利用している面積は、自然の野原に比べたら極わずかだ。多種多様と隙間無くと言うのが自然であるなら、いかにも畑は不自然です。
 
太陽
自然
 畑は何も植えられてない時期と、作物がまだ小さい間は、土は殆ど裸状態です。その為、太陽に照り付けられ表土は乾燥しやすく、直射日光にさらされている為、生活できない種類の生き物も多いと思う。表土が乾燥していれば、雑草の種子も発芽しにくくて、作物以外余計な物と考えれば都合が良いのですが。 自然の山野は、表土が裸状態になることは殆ど無い。良く茂った草木や枯草、落ち葉が直射日光をさえぎっている。
それらは、朽ちて土に返っていく間にもそこに生きる虫や菌たちの住まいや食料になっている。
土は本来、裸の状態を望んでいないと思う。裸では自然の循環がたちきられ、いわば砂漠状態に向かっている。草木を取り去れば砂漠になり、、砂漠になれば草木が生えない、、。自然の循環が無くなったものを、肥料で補う。
雨
自然
畑では雨は直接地表に降り注ぐ割合が多く、しみ込んだり表面を流れたり、水はけの悪いところでは水溜まりが出来たりもする。 雑草や落ち葉、枯草に保護され直接雨が当たる割合は小さくい。穏やかに水は地面にしみ込んで行く。
普通畑の土
1月撮影
耕運後、一度しか雨が降っていないので良くわかりませんが
雨が降るたびに細かい土の粒子が地表を覆って固まり、土の中と外とを緩やかに結ぶ層は無くなる
竹林の土
1月撮影
笹竹を採取している川土手の土です
中央に見えるのがミミズで、写真では解らないが
小さな虫がすぐに見つかるものだけでも10匹くら
いる。生きを吹きかけると土の内部に届きそう。
撮影の為に表面の落ち葉を払いのけた状態です
 土の中と外を分ける境は、ものさしで線を引いたようなものではなく、どこからが土の中なのか外なのか、あやふやなものです。そしてそのあやふやな領域が非常に大切なのです。その領域を通して呼吸し、多種多様な物質を水分と共に吸収したり。人にたとえればそれは皮膚であったり、口になります。そしてそこには、そこでしか生きられない沢山の生命体が存在する。降った雨がどの様に振舞うか、これも全てに影響しあって原因にも結果にもなっている。
 オヤジの自然栽培畑の隣には杉林があり、雨が降る日の杉林を見ていて思うことが有る。
雨水は杉の葉や枝や幹を伝って落ちてくる。その水には、それら自身から分泌されたり剥がれ落ちたものや、そこに住む微生物により作り出されたものが含まれているだろう。
私達がお茶を飲む時、成分には体に良い物がいくつも含まれている。杉林や草原を見る時、そんなことも起きている様に思う。

これは人参が植わっている畑の様子です。畝間の燕麦が大きくなってきたので刈り倒して人参の畝に寄せました。
敷き草は葉についた微生物や、表面土壌に住む微生物や小動物の命の糧となります。
人参が育つ養分は、彼らを生かすことで潤沢に供給されます。
人参の敷き草をめくると、人参の株元から30cmも離れた当たりにも、人参の真っ白な細根が見られます。
其の根は、土際の土と同化を始めたばかりの敷き草の中にも盛んに伸びてきています。
そこに住む微生物たちと共存をするように、土だけの個所よりも、旺盛に発達しているようです。

上記のような有機物の循環を畑で再現する為に現在人参栽培においてこちらの様な畝作りをしています。
雑草を外から持ち込むと大量の雑草の種を撒くことになり、草取りが大変になるばかりではなく
その畑に自然に生える、その畑の土が必要とする雑草を混乱させることになると考えるようになりました。
2011年現在。
空気
自然
植物の種類はごくわずか。 多種類の植物が競争しながらも自由に生息し、目には見えないけれどそれらから発散される気が入り混じって漂っているはず。
植物(微生物を含む)にはアレロパシーとゆう作用が有ると聞きます。それは、植物はそれぞれ特有の化学物質を発散しており、その物質が他の植物の生育に促進的に働いたり阻害的に働いたりするとの事。セイタカアワダチソウはその群衆の中に落ちた種は発芽しないで、もっぱら根茎で繁殖し、遠くに飛ばされた種は発芽すると聞きます。そのほうが子孫の繁栄に適しているのでしょう。
畑を自然の状態に近づける為には、そういった目には見えないところの環境も考える必要があると思う。